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東京高等裁判所 平成4年(う)577号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人伊藤博史及び同大塚一男が提出した各控訴趣意書、弁護人大塚一男が提出した控訴趣意補正書及び「控訴趣意にもとづく弁論要旨」と題する書面に、これに対する答弁は、検察官提出の答弁書にそれぞれ記載してあるとおりであるから、これらをここに引用する(なお、以下においては、弁護人両名が連名で提出した平成五年一月二五日付意見書、弁護人両名がそれぞれ提出した各弁論要旨及び検察官提出の弁論要旨の内容をも適宜参酌しつつ判断することとし、弁護人が提出したこれらの書面に記載された主張をも含めて「所論」ということがある。)。

第一  大塚弁護人の控訴趣意第二点中憲法違反の論旨について

論旨は、原判決が本件に適用した平成三年法律第五二号による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法(以下「銃刀法」という。)二条二項、三条一項、三一条の四第一号は、その規定内容が甚だしく漠然としていて、罪刑法定主義の大原則にもとり、憲法三一条に違反する、というのである。

そこで、検討するのに、銃刀法三条一項、三一条の四第一号によりその所持が禁止、処罰される「刀剣類」とは、「刃渡り十五センチメートル以上の刀、剣、やり及びなぎなた並びにあいくち及び四十五度以上に自動的に開刃する装置を有する飛出しナイフ」をいうとされているところ(同法二条)、右定義にいう「刀」とは、(1)鋼質性の材料をもって製作され、(2)人畜を殺傷する用具としての機能を有する(又は、ある程度の加工等により右のような性能を有するに至る)刃物で、(3)社会通念上、「刀」というにふさわしい形態を有するものを指称すると解すべきであって、これに該当するか否かは、通常の判断能力を有する一般人が通常容易に判断することができると認められるから、銃刀法の前記規定の内容が甚だしく漠然としているとはいえず、右規定が憲法三一条に違反するとは認められない。論旨は、理由がない。

第二  伊藤弁護人の控訴趣意一及び大塚弁護人の控訴趣意第一点について

各論旨は、いずれも、「原判決は、本件刃物を銃刀法三条一項所定の刀にあたると認めたが、右刃物は、日本料理の伝統的儀式である四條心流の包丁儀式のための特殊な包丁であって、刀としての形態を備えていないから、これを刀と認めた原判決は、事実を誤認したか、法令の適用を誤ったものである。」というのである。

そこで、各所論と答弁にかんがみ、記録と証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討する。

一 関係証拠によると、被告人が製作、所持した原判示刃物七本(「脇差し七振り」として押収してあるもの。以下「本件各刃物」という。)は、いずれも原認定のとおり、

(ア) 刃渡り約32.2ないし33.4センチメートル、柄に近い部分の刀身の幅約3.5センチメートル、柄に近い部分の刀身の棟(むね)の厚み約0.4センチメートルで、先端(切先)の鋭利な鋼鉄(炭素鋼)製の刃物で、

(イ) 片面から研磨された鋭利な刃と鎬(しのぎ)及び刃文があり、

(ウ) 鍔はないが、刀身とほぼ同じ幅の白木の柄に目釘で固定され、はばき()があって、白木の鞘に収められたものであることが認められる。

これによると、本件各刃物は、いずれも、社会通念上刀(脇差)というにふさわしい形態を備え、かつ、人を殺傷する十分な性能を有すると認められる。

二  これに対し、所論は、まず、「本件各刃物は、四條心流の包丁儀式(いわゆる「包丁式」)に使用するために製作された特殊な包丁であるから、銃刀法の規制の対象とはならない。」と主張する。

1  そこで検討するのに、関係証拠によると、次の事実が認められる。

(一) 日本料理の世界では、四條流その他の各流派の伝統的行事として、古来「包丁式」という儀式が行われている。これは、料理人の六根清浄と天下泰平・五穀豊饒を祈願しつつ、料理材料に対して感謝の意を捧げるため、一定の所作に従って料理を行う儀式であって、右手に包丁を、左手に俎箸を持ち、俎板の上の料理材料には一切手を触れることなく行うものである。右儀式においては、一般の家庭用の包丁とは異なる特殊な形態の刃物(儀式包丁)が使用されており、なかでも、四條心流の包丁式においては、本件各刃物とほぼ同型の儀式包丁が用いられている。

(二) 被告人は、肩書住居地に本店を置く有限会社永田刃物(以下「永田刃物」という。)の代表取締役として、業務用刃物、はさみ、工業用特殊工具、包丁等の刃物の製作、販売業を営む者であるが、昭和六一年六月ころ、永田刃物の営業担当者である石橋こと古林政昭を通じ、横浜市在住の調理師で四條心流に属する島田一夫から、本件各刃物とほぼ形態を同じくする見本を示されて、これと同じ儀式包丁を製作してほしいとの注文を受けた。

被告人は、右注文に応じ、注文どおりの刃物一本を製作して島田に販売するとともに、同型の刃物一本を製作し、これを見本として古林に渡した。

古林は、その後、各地の旅館、割烹店等の調理師に対し、「このような儀式包丁がある。」といって右見本を示し、注文を取っては、これを被告人に取り次いだ。被告人は、その都度、本件各刃物を製作し、原判示の日時ころ、これらをそれぞれ注文主に発送した。

2  以上の事実によると、被告人は、本件各刃物をいずれも儀式包丁として販売する目的で製作したものと認められる。

しかし、そのように儀式包丁として製作されたものであっても、その刃物が、素材、形態及び性能に照らして銃刀法上の刀に当ると認められる場合には、同法による規制を免れないと解すべきである。

3  所論は、長年の文化的遺産、習俗の産物である儀式包丁は、そもそも銃刀法の処罰の対象たり得ないと主張する。

しかし、包丁式そのものは、古い伝統に基づくものではあっても、そこで用いられる儀式包丁の形態は、流派等によって様々であり、普通の包丁に似た形態(以下「包丁型」という。)の儀式包丁を用いる流派も多く、本件刃物のような形態(以下「刀型」という。)の儀式包丁を用いるのが古来からの確立した伝統であるとは認め難い。

また、仮に、特定の流派の流儀として、銃刀法上の刀に当るような儀式包丁を用いる必要があるというのであれば、同法四条一項七号により都道府県公安委員会の許可を受けた上、これを所持すべきものとすれば足りると考えられる。

所論の解釈に従えば、実質的に銃刀法の刀に当る危険な刃物が、「儀式包丁」であるということだけで全く同法の規制の外に置かれることとなるが(その結果、例えば、暴力団の幹部が兇器として多数の「儀式包丁」を所持することをも放任せざるを得ないことになるであろう。)、同法の文理及び立法趣旨に照らすと、到底そのような解釈をとることはできない。

三 所論は、次に、本件各刃物は、刀としての形態を備えていないと主張する。

1 本件各刃物は、前記一のとおり、社会通念上刀(脇差)というにふさわしい形態を備えていると認められるのであるが、これに対し、所論は、本件各刃物における次の特徴、すなわち、

(ア)  反りがないこと、

(イ)  刀身の片面を研磨して刃が付けられていること、

(ウ)  なかご(茎又は中子。刀身の柄に入った部分)の幅が狭く、あご(和包丁などにおいて、刃体となかごの幅が異なるため、その間にできる段差)があること、

(エ)  鍔がないこと、

の諸点を指摘、強調し、これらは、正に和包丁の特徴であり、このような点から見て、本件各刃物は刀の形態を備えているとはいえないと主張する。

2 しかし、当審証人廣井雄一の供述等によると次の事実が認められる。

(一)  太刀及び刀(日本刀の分類上、長さが六〇センチメートル以上のものをいう。後記(二)においても同じ。)には、必らず反りがあるが、一尺を少し過ぎる位の小さな脇差又は短刀には、反りのないもの又は反りが小さいものがある。

(二)  太刀、刀、脇差及び短刀のいずれにおいても、刀身の両面を研磨して刃を付けたものが多いが、南北朝時代以降の各時代を通じ、片面を研磨して刃を付けたものもある。これを片切刃といい、特に脇差及び短刀に作例が多い。

(三)  刀身を保存するために白鞘を用いる場合には、鍔を付けないのが普通である。

以上の事実が認められ、これによると、前記1の(ア)(イ)及び(エ)の諸点は、本件各刃物が刀(脇差)の形態を備えていることを否定すべき要素とはなり得ない。本件各刃物は、反りの極めて小さい片切刃の脇差で、白鞘に納められたものと認められるのである(所論は、本件各刃物には反りがないと主張するが、僅かながら反りはあると認められる。)。

3 次に、なかごの幅が狭い点(前記(一)の(ウ)前段)について検討する。

本件各刃物のうち、符号1の刃物のなかごの幅は、普通の脇差のそれに比べ、僅かに狭い程度に止まるが、符号2ないし7の各刃物のなかごの幅は、刀身に近い部分において約2.0ないし1.6センチメートルと、刀身部分の幅の半分前後であり、普通の脇差や短刀のそれが、刀身部分の幅と余り違わないのと比べると、かなり狭いことが明らかである。

しかし、なかごの形状、大きさは、必ずしも、ある刃物が刀かどうかを判断する上で、決定的な要素となるものではないと考えられる(前記廣井証人の供述参照)。もとより、なかごが余りに貧弱で、刀で斬りつけ又は突き刺した際、容易にその部分が折れたり曲ったりし、人の殺傷の用に立たないようでは、刀としての性能に欠けるといわなければならないが、なかごの形状、大きさ等を全体的に観察し、人の殺傷の用に耐え得る強度があると認められるならば、多少その幅が狭いなど、普通の刀と形状、大きさを異にするところがあったとしても、そのことは、直ちに、その刃物が刀であることを否定すべき根拠とはならないと解される。

このような観点から、本件各刃物について検討すると、符号1の刃物はもとより、符号2ないし7の各刃物のなかごも、普通の脇差に比べるとかなり狭いとはいえ、なお前記程度の幅をもつ上、長さは約12.5センチメートルと十分であり、また、目釘穴があって、目釘で太い柄にしっかり固定される構造となっている。本件各刃物の刀身が約32.2ないし33.4センチメートルと脇差の中でも比較的短いこと等をも考慮すると、本件各刃物のなかごには、人の殺傷の用に耐え得る強度があると認められる。

4 本件各刃物(符号1のものを除く。)には、はばき()によって覆い隠されてはいるが、刀身となかごの間にあご状の段差がある(前記(一)の(ウ)後段)。そして、所論が強調するとおり、刃体となかごの間にあごがあることは、和包丁における顕著な特徴であり、料理人は、これに指を添えて自在に包丁を操るものとされている。

しかし、本件各刃物においては、いずれも、はばきによってあご状の段差が完全に覆われているので、右のようなあご本来の効用を発揮すべくもなく、また、これがために刀としての外観、性能が損われるものでもない。

5 以上の検討によると、本件各刃物は、符号1のものを除き、なかごの幅が狭い点及びはばきに隠れた部分にあご状の段差がある点において、普通の刀とやや異なった特徴が見られるが、これらの点は、いずれも、本件各刃物が刀であることを否定すべき要素ではなく、本件各刃物を全体として観察すれば、社会通念上刀というにふさわしい形態を備えていると認められる。

四  所論は、更に、被告人が本件各刃物を刀の製法によらず包丁の製法によって製作したこと、及び、その素材にも不純物が多いことを指摘し、本件各刃物が銃刀法上の刀に当たらないことの論拠としている。

証拠によると、刀と包丁とでは、使用する素材、鍛造法など製法にちがいがあり(包丁の方が不純物のやや多い素材を使用し、鍛接時の温度もやや低い。)、その結果、製品の性能も、刀は、「折れたり曲ったりしにくく、刃こぼれがしにくいが、切れ味は落ちる。」という特徴を有するのに対し、包丁は、「切れ味は鋭いが、刃がもろく、刃こぼれがし易い。」という特徴を有すること、被告人は、本件各刃物を包丁用の素材を用いて包丁の製法で製作したもので、右各刃物は、右包丁の性能上の特徴を備えていることが認められる。

しかし、銃刀法上の刀というためには、前記一指摘の各要件を充足すれば足り、必ずしも、それが一般の刀の製法によって製作されたものであることを要しないと解される。また、前記のとおり、本件各刃物は、鋼質製で鋭利な切先及び刃を有する上、刀の製法とも共通する折返し鍛練などを経て製作されたもので、人を殺傷するに足りる十分な強度を有すると認められるから、それが、一般の刀と比べ、切れ味は鋭いが刃こぼれし易い等の特徴をもつからといって、銃刀法上の刀でないとはいえない。

五 以上のとおりであって、本件各刃物を銃刀法上の刀であると認めた原判決に、所論の事実誤認、法令適用の誤り等はなく、論旨は、理由がない。

六  なお、所論は、原判決が認定の用に供した角野勝明作成の鑑定書六通(以下「角野鑑定書」という。)は、包丁と刀の区別を認識しない鑑定人によって作成されたもので、本件各刃物を刀と鑑定した理由も理解し難いものであるから、このような証拠に基づき本件各刃物を刀と認めた原判決には、認定した事実と証拠との間に理由のくいちがい又は理由不備の違法がある、とも主張している。

しかし、原判決は、ほぼ前記1ないし4と同旨の事実認定及び判断に基づいて、「本件各刃物は、社会通念上いわゆる片切刃造りの「刀」の中の「脇差し」にあたる」と認めたものと解されるのであって、その理由の説示中に何ら前後矛盾するところはなく、また、その掲げる証拠と認定事実との間にも矛盾はないと認められる。所論は、ひっきょう、角野鑑定書の信用性を論難するものに過ぎず、原判決の理由の不備ないしくいちがいの主張を構成するものではない。

原判決に、所論の事実誤認及び法令適用の誤りはなく、論旨は、理由がない。

第三  伊藤弁護人の控訴趣意二並びに大塚弁護人の控訴趣意第二点中事実又は法律の錯誤をいう論旨について

伊藤弁護人の論旨は、「被告人は、本件刃物を四條心流の包丁式に使用するものとして製作し、所持したのであって、右所持が違法であるとの意識はなく、包丁式及び儀式包丁に関する被告人の知識からすれば、被告人が違法性の意識を持たなかったのは誠にもっともなことであるから、原判決が、『被告人はただ安易に違法でないと思ったにすぎない。』としたのは事実を誤認したものである。」というのであり、大塚弁護人の論旨は、「被告人は、本件刃物を包丁製作に用いる素材で包丁を作る工法に従って、儀式包丁を製作するという確信のもとに製作したのであるから、仮に、その結果製作された物が刀であったとしても、右は、事実の錯誤をもって論ずべき場合であり、被告人に故意責任を問うことはできない。また、仮に右錯誤が事実の錯誤でないとしても、被告人のこれまでの経験や知識からすれば、被告人が本件刃物を刀でないと考えたことには、相当な理由、根拠があったから、やはり被告人の故意を認めることはできない。したがって、被告人を銃刀法の前記規定により処罰した原判決は、刑法三八条の解釈、適用を誤り、犯意なき行為を犯罪と断ずる事実誤認を冒したものである。」というのである。

そこで、以下、検討する。

一  まず、事実の錯誤をいう大塚弁護人の所論について考える。本件において、被告人は、包丁式用の儀式包丁を製作する意図のもとに、本件各刃物を製作したのであるが、製作された各刃物は、その素材、形態及び性能に照らし、銃刀法上の刀(脇差)に当ると認められるものであったのである。そして、被告人は、その際、各刃物の素材、形態及び性能を誤認していたわけではなく、各刃物が銃刀法上の刀に当るかどうかの判断を誤り、儀式包丁であるから刀には当らないと信じたというに過ぎない。したがって、被告人の誤信は、いわゆる法律の錯誤(あてはめの錯誤)であって、事実の錯誤ではないといわなければならない。所論は、採用することができない。

二  大塚弁護人のその余の所論及び伊藤弁護人の所論は、本件各刃物の所持について、被告人には違法性の意識がなく、それがないことに相当な理由があったと主張して、相当な理由がなかったと認めた原認定を争うものである。

1 そこで、検討するのに、関係証拠によると、被告人は、古林を通じ、島田から、本件各刃物とほぼ形態を同じくする見本を示されて、これと同じ儀式包丁を製作してほしいとの注文を受けた際(前記第一1(二)参照)、その見本の刃物が鋼質性の材料をもって製作され、社会通念上刀と見られる形態を備え、人を殺傷する性能を有するものであることを認識しながら、伝統のある包丁式に用いる儀式包丁であるから、これを製作、所持することは許されると考えて、島田の注文に応じ、その後も、古林が取り次いでくる顧客の注文に応じて、次々と本件各刃物を製作、所持したものと認められる。

2 そして、被告人が右のように考えた根拠については、次のような諸事情があったと認められる。

(一)  島田から注文を受けた際、同人から示された刃物は、著名な刃物業者である浅草の「かね惣」の銘のあるものであったこと、

(二)  その際、古林が持参した横浜料理人組合萬屋睦社発行のパンフレットの「会報」に、右見本と同様の「儀式用包丁」を使用した包丁式の写真が何枚か掲載されていたこと、

(三)  被告人は、かつて、京都四條流に属する奈良市在住の調理師(以下「奈良四條流の調理師」という。)から注文を受けて、儀式用包丁を数本製造、販売したことがあり、また、他の刃物業者(ミナモト交易及び林寅刃物製作所)の通信販売用のパンフレット中に、島田から見本として示された刃物とほぼ同型の刃物が「儀式包丁」として掲載されていることを知っていたこと。

3 以上のような事情に基づき、被告人は、包丁式用の儀式包丁として本件各刃物を所持することが社会的に公認されていると考えたというのであるが、そのように考えるべき相当の理由があったとは認められない。包丁式は、公衆の面前で行われることもあるが、社会的に広く知られた儀式ではない上、包丁式において用いられる包丁の形状等について格別世人が注目するような状況でもなかったのであるから、一部の包丁式において刀型の儀式包丁が用いられることがあったからといって、直ちに、銃刀法上の刀に当るような危険な儀式包丁の所持が社会的に公認されていると推定すべきものではない。刃物業者の一部に刀型の儀式包丁を製作、販売している者があったこと等の状況を併せ考えても、右結論を動かすには足りない。

4 もともと、本件各刃物は、鋼質性の材料をもって製作され、社会通念上刀(脇差)と見られる形態を備え、人を殺傷するに十分な性能をもつことが明らかであって、包丁式に関する知識のない通常の人々がこれを見れば、おそらくほぼ全員が「刀である。」と判断するであろうと思われる物である。また、包丁式について知識をもち、被告人から本件各刃物を購入した調理師の中にも、これが銃刀法の刀に当るのではないかとの疑いを拭い切れず、警察に相談に行った者や返品の申出をした者がある。

そして、被告人は、刃物の製作、販売を業とする者であるから、前記のような素材、形態及び性能をもつ危険な刃物を製作、販売するに当っては、右刃物が銃刀法上の刀(脇差)に当るか否かについて、特に慎重な検討と判断を求められる立場にあったといわなければならない。また、その検討に当っては、結局、銃刀法の解釈が最も重要な問題となることが明らかであるから、この点については、関係官庁(警察)の助言、指導を求め、又は、弁護士に鑑定を依頼するなどして、自らの判断に誤りのないことを期する周到な用意が必要であったといわなければならない。ところが、被告人は、そのような用意に欠け、前記のような事情から、本件各刃物が銃刀法の規制の対象にならないと軽信して、これを製作、所持したものである。したがって、被告人が右の所持を違法でないと考えるにつき、相当な理由があったとは認められない。

5  所論は、更に、(ア)被告人は、大草覚真流の包丁式でも同種の儀式包丁が使用されているのをパンフレットで知っていた、(イ)被告人は、かつて奈良四條流の調理師の依頼により本件と同種の儀式包丁を数本製作・販売したが、これまでに警察から注意喚起や指導を受けたことはないし、他の者がそのような処分を受けたと聞いたこともないなどと主張して、これらの点も、被告人が違法性の意識を欠いた理由として考慮されるべきであると主張する。

しかし、証拠によると、右(ア)指摘の大草覚真流の包丁式で使用されている儀式包丁は、先端が四角に切れて切先がなく、また、(イ)指摘の被告人が奈良四條流の調理師に製作・販売した刃物は、先端が三角形でやはり切先がなく、いずれも、本件角刃物とはその形状を異にし、殺傷能力にも大きな差があって、同列に論じ得ないものであることが明らかである。したがって、右の点に関する所論の指摘も、前記結論を左右するものではないと認められる。

6  その他、所論に即して検討しても、被告人が違法性を意識しないことに相当な理由があったとは認められないとする原判決に、所論の事実誤認はなく、論旨は、理由がない。

第四  伊藤弁護人の控訴趣意四及び大塚弁護人の控訴趣意第二点中刑法三五条の適用をいう論旨について

伊藤弁護人の論旨は、「被告人が、本件各刃物を製作するに至った経緯、本件各刃物と同種の儀式包丁に対する従前の取締りの実状等のほか、被告人による本件各刃物の販売方法等からみて、被告人による本件各刃物の所持は可罰的違法性を欠き、銃刀法二条二項の構成要件該当性を欠くか、あるいはその違法性が阻却されるべきものである。したがって、被告人を有罪と認めた原判決は、事実を誤認したか、法令の適用を誤ったものである。」というのであり、大塚弁護人の論旨は、「本件における被告人の行為を全体として考えれば、右は刑法三五条所定の正当業務行為と理解されるべきであるから、被告人を有罪と認めた原判決は、法令の解釈、適用を誤ったものである。」というのである。

しかし、

一  被告人は、前記のように殺傷能力が十分にあり、銃刀法上刀として規制の対象とされる刃物七本を、他へ販売する目的で製作して所持したものであって、この行為の違法性は、決して小さくないと認められる。

したがって、被告人の本件行為は、所論が指摘するような本件各刃物の製作、所持に至る経緯等を考慮しても、可罰的違法性に欠け、又は刑法三五条により違法性が阻却されるものではないと認められる。これと同旨の原認定に所論の事実誤認等はない。

二  所論は、被告人が古林に対し、販売先を四條心流の者に限定するよう指示したとか、古林の現実の販売先も、決して無差別ではなく、料理店の板長ないしこれに次ぐ幹部に限られているなどと主張して、原認定を争っているが、そもそも、本件で処罰の対象とされているのは、銃刀法上の刀に当る危険な刃物を、許可なくして販売目的で所持したこと自体であって、所論のような販売の方法に関する事情は、右行為の違法性を大きく左右するものではない。その上、古林が現実に販売した相手方の中には、調理師としての経験が短い者や、覚せい剤やシンナーの使用により懲役刑に処せられた者も含まれている。被告人が古林に対し、販売先を限定する指示を与えていたにしても、右指示が現実には守られていなかったことは明らかであり、右のように、現実に守られないような指示を与えたことによって、被告人の行為の違法性が大幅に軽減されるとは認められない。

三  以上のとおりであって、論旨は、理由がない。

第五  伊藤弁護人の控訴趣意三について

論旨は、「原判決は、公訴提起に関する検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効にする場合があるとしても、それは、『その逸脱が極めて著しく、極限的な場合にのみ認められると解すべきであ』り、被告人の場合はこれにあたらないことが明らかであるとして、弁護人の公訴棄却の主張を排斥したが、公訴を棄却すべき場合としては、訴追裁量権の逸脱が、社会正義上あるいは公平の原則上、一般人が到底容認することができないものと社会通念上考えられる程度で足りると解すべきである。そして、本件以前に、本件と同じ型の儀式包丁を用いた包丁式が、各地の神社等で、大衆の面前で大々的に行われてきたのに、当局が、これを全く放置してきたこと等を考慮すれば、本件は、まさに前記基準により公訴を棄却すべき場合にあたる。したがって、原判決は、検察官の訴追裁量に関する解釈とその適用を誤り、また、刑訴法一条、憲法三一条にも違反するものである。」というのである。

しかし、

一  公訴提起に関する検察官の裁量権の逸脱が公訴を無効にする場合として、原判決が掲げる基準は、最高裁判所の判例(最一判昭和五五年一二月一七日刑集三四巻七号六七二頁)の判旨に副うものであって、当裁判所も、右見解を正当と考える。

所論は、右と異なる基準により公訴の無効を主張するものであって、採用することができない。

二  所論は、更に、被告人が本件で訴追される以前に、伊勢山皇大宮、鶴岡八幡宮、神奈川県民ホール等で、大衆の面前で、大々的に本件と同じ形状の儀式包丁を用いた包丁式が行われてきたのであり、捜査当局は、おそらくそうした事実を知りつつも、全く問題意識を持つことなく放置してきたとして、本件公訴提起を「選別的、差別的起訴」であると論難している。

証拠によると、所論指摘の神社等において、公衆の面前で、本件各刃物と似た形態の儀式包丁を用いた包丁式が行われた事実が認められる。しかし、その際、警察が、右儀式包丁の所持が銃刀法に違反することを認知しながら、これを放置していたことを認めるに足りる証拠はない。

また、原判決も指摘するとおり、現に包丁式を行う正規の資格をもつ者が、その式に使用するため儀式包丁を所持する場合と、本件におけるように刃物の製作、販売を業とする者が、継続的に、多数の顧客に販売する目的をもって、多数の儀式包丁を製作して所持する場合とでは、著しく犯情を異にすることが明らかであるから、従前、右包丁式における儀式包丁の所持について全く規制が行われていなかったことを強調し、これを根拠に、本件起訴を「選別的、差別的」であると非難するのは、当を得ない。

三  本件起訴が、前記一の基準に照らし、無効と認められないことは明らかであるから、これと同旨の判断をした原判決に、所論の違憲、違法はなく、論旨は、理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文を適用してこれを全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉丸眞 裁判官木谷明 裁判官平弘行)

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